【モンスター】ザ コブラ 2 ヤラ・クラッセンモデル シルバー 2BA


ファンの声援に「うれしかったですね。私はプロレスしかできない男ですから。すべて人生、プロレスにかけてきたんで。こうしてまた、藤波さんのリングで立たせてもらうこと、スタッフの皆さんに感謝しますし、先輩方はじめご来場のファンのみなさまにこの場を借りて御礼を申し上げたいと思っております。次の課題としてさらにご声援いただけるように、残り成長していい試合できるように頑張っていきたいと思います」と意気込み「課題は山積してますので、特に今の業界は以前の昭和プロレスの黄金時代のように、藤波さん、先輩方通じて時代をまた迎えられるように、みなさんで一丸となってがんばって、お互いの目標の課題をひとつひとつクリアして結果が出るように頑張っていきたいと思います」とまだまだ現役を続ける考えも披露していた。


全盛期の体重は99キロ。この日、リングに登場した姿は、明らかに増量していた。20日の試合後、記事と写真をネット配信すると主に批判的なコメントが殺到した。コブラ自身は「見た方の印象で。徐々にリングに慣れていくといい試合につながるっていけると考えています」と気にする様子はなかった。そう言えば、試合前、ジョージも全盛期と比べてお腹の辺りが明らかに膨張していた。そのことを聞くと「ヘビー級になりたくてSWSへ行ったので、そのままの流れで今の体になっています。まぁ、不安はありません。いい試合につながると考えています」とコブラと同じ言葉を残していた。

試合後、コブラはいつ以来の試合かと問われると「長い時間が経っていますね。確かゼロワンの福岡のボウリング場があるところ以来」と振り返り、2002年8月24日、ゼロワンの博多スターレーン大会以来、約16年ぶりの復活だったことを明かした。久々のリングに「尊敬する先輩みなさんのリングなんで私もとても光栄に感じております。これからの課題として、藤波さん、そして、ここのリングに参加する方々が努力してさらにお客さんをたくさん呼べる団体になっていただきたい。そのために私もできる限り先輩のお役に立てれば光栄かなと考えております」とレスラーとは思えない丁寧な口調で言葉をかみしめていた。

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この日の「ドラディション」では第4試合に昭和の新日本プロレスのジュニア戦線で活躍した覆面レスラー、ザ・コブラが復活した。新日時代は宿敵だったヒロ斉藤(56)とタッグを組んでブラック・タイガー、KENSO(43)と対戦。試合は斉藤がダイビングセントーンでタイガーを抑え、勝利した。コブラは1983年11月3日に新日本マットに出現。NWAとWWFのジュニア2冠に輝くなど85年6月まで斉藤、越中詩郎、高田延彦らと戦いを繰り広げた。

ジョージ高野とザ・コブラ。2人とも味わい深い愛すべきプロレスラーだった。(記者コラム・福留 崇広)

弟で破壊力満点のドロップキックで「人間バズーカ砲」の異名を持つ高野拳磁の近況も聞いた。「彼は今、ロサンゼルスに住んでいます」と明かした。仕事を聞くと「この前も人命救助をして表彰されてましたよ」とこちらも充実しているようで、再び兄弟タッグでリングに登場する日はないのだろうか?と尋ねると「そういう機会があれば、ぜひとも実現させてみたいですね」と笑顔を浮かべていた。

コブラの相手はこちらも謎のマスクマンであるザ・バンピートが務めることになったが、コブラはタイガーマスクやマスカラスのマスクを被った若手選手らが担ぐ白煙を噴く神輿に乗って、白いタキシードを身に纏い登場、コーナー昇ったコブラはバク宙を披露するも、すぐさまバンピートがコブラを襲撃、マスクを脱ぐと、ファンはダイナマイト・キッドだと思ってキッドコールを贈ったが、正体はキッドに似ていたスミスで、スミスはコブラはタキシードを脱いでいないコブラを場外へ追いやってボディースラムで叩きつけ、リングに戻ろうとするコブラにロープ越しのブレーンバスター、リフトアップスラムで場外に放り投げるなどコブラを徹底的に痛めつける。 改めて試合開始のゴングが鳴らされると、館内はコブラコールではなく「高野コール」が起きる。試合も期待されたコブラの空中戦は封じられ、グラウンド中心の攻防に終始、コブラが空中殺法を狙うと、スミスは受けようとしないなどの行為が目立ち、コブラの良さを引き出さずに自身の良さばかりをアピール、ジュニアらしい華麗な空中戦も攻防はなく、さすがの館内も野次が飛び始める。


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コブラの正体はカルガリーマットで修行していたジョージ高野で、コブラはヒールのマスクマンとしてダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミスらと抗争を展開していた。昭和58年8月にアントニオ猪木、藤波辰己ら新日本勢が遠征に来ると、コブラは小林邦昭と組んでスミス、ブルース・ハート組と対戦、華麗な空中殺法を披露、この模様はワールドプロレスリングでも放送されたが、高野も新日本が初代タイガーマスクの突然の引退で大揺れだったことを知る由はなかった。

ザ・コブラ復活の大ハッスル「またリングに立たせてもらって感謝」

コブラに目を付けた新日本はポスト・タイガーマスクとしてコブラを売り出すことになり、ジョージに帰国命令を出すが、カルガリーでの居心地の良さもあって本人は帰国を辞退。しかし尊敬する猪木の説得もあって帰国を決意、帰国時には成田空港でマスク姿のコブラが登場、インタビュアーが突撃取材をするも、コブラはノーコメントであくまで謎のマスクマンで通したが、それだけ新日本プロレスだけでなく、テレビ朝日もコブラに期待をかけていた。

【ドラディション】巨大化したザ・コブラが軽やかなフットワークで敵陣営を翻弄!<4.20後楽園> ..

ジョージは大相撲を廃業し、1976年に新日本に入門。190センチ近い長身と甘いマスクで将来を嘱望された。メキシコからカナダへ海外武者修行を行い、あの「ムーンサルトプレス」を初めて披露したレスラーとしても知られている。しばらく、その名前と活躍は成りを潜めたが86年7月のシリーズで突如、登場し89年にはスーパーストロングマシンとのタッグ「烈風隊」でIWGPタッグ王座を獲得した。中堅レスラーとして重要なポジションにいたが、90年4月に大手眼鏡販売チェーン「メガネスーパー」が母体となる新団体「SWS」へ移籍し、弟の高野拳磁らと共に「パライストラ」を結成し道場主となった。

COBRA「コブラ[ザ・サイコガン]」のフィギュア · マンガスケールフィギュア · COBRA「コブラ[ザ・サイコガン]」

試合前、リングサイドで関係者と話をしていた時だった。ジョージが通路を歩いていた。往年の名レスラーの近況を聞こうと取材を願い出ると快く受けてくれた。「久々の試合ですから緊張しますね。どうなりますか」と真っ先に口にした。しかし、この日の対戦カードに「ジョージ高野」の名前はラインアップされていなかった。「果たしてどこで試合に出るのか?」。まさに素顔を見たような気がして私の胸の鼓動は高鳴った。

悲劇のマスクマン「ザ・コブラ」〜1983-86 新日本プロレス ジョージ高野







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――異様な展開の連続だったザ・コブラvsザ・バンピートですが、試合中にさらなるあり得ないことが起きたそうですね。

「当時、俺はこの試合を大阪の自宅で見ていたので、映像はテレビ朝日系列のABC朝日放送で流れていたんですが......その試合映像が途中で止まったんです。試合がストップして、コブラのテーマ曲が流れて、フォトムービーみたいに試合の模様が写真で紹介されました。あの有名なCMのように、小田和正さんの『時をこ~えて』という歌声が聞こえてきそうな感じですよ」

――試合の映像が止まって、写真が画面に映ったんですね?

「そうです。ワールドプロレスリングはテレビ朝日のネット中継なので、地方局であるABC朝日が独自に編集することはあり得ないはず。もしかすると、この試合の入場シーンで俺の脳がバグってしまったから、記憶が混濁しているのかもしれない。なので、本当に試合が止まって写真だけになったのか、誰かに調べてほしいんです」

――新日本プロレスの公式動画配信サービス『新日本プロレスワールド』は、ザ・バンピートがマスクを脱ぐシーンから、最後にコブラが勝つ結末まで流しています。試合映像が止まったことが事実なら、どうしてそんな放送になったのかが気になりますね。

「俺もABC朝日放送の関係者に聞いてみようかなと思ってます。とにかく、その時の記憶が本当なのかを解明したいんです。本当は最後まで放送されていたのに、混乱していた俺が『週刊プロレス』や『週刊ゴング』などで見た試合の写真のほうを覚えていて、フォトムービーで終わったという記憶にすり替わっている可能性もありますから」

シェルビー・コブラ“デイトナ”クーペ, HW:ザ・ナインティーズ 96ポルシェ・カレラ, HW:ザ・ナインティーズ 90アキュラNSX

昭和58年11月3日蔵前国技館、初代タイガーマスクが引退に伴い、空位となったNWA世界ジュニアヘビー級王座を巡ってザ・コブラとザ・バンビートの間で王座決定戦が行われた。(この試合は新日本プロレスワールドで視聴できます)

伝説のプロレスラー ザ・コブラ | mogura2号 のブログ

かつて新日本プロレスなどで活躍したプロレスラー、ジョージ高野(59)を20日、「ドラディション」後楽園ホール大会で取材した。

初代タイガーvsザ・コブラ - 1996.11.20 虎vs蛇です。



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――今回の語り継ぎたい名勝負はどの試合でしょうか?

「前回、2代目タイガーマスクについて語りましたから、そうなると同時期のマスクマンであるザ・コブラを話さないわけにはいきませんね」

――ザ・コブラは、新日本プロレスのジョージ高野さんが、海外遠征中の1983年夏にカナダのカルガリーで変身したマスクマンですね。

「そうです。さまざまな試合がありますが、その中でパラレルワールドに入るというか、すべてが歪んでしまった試合があるんですよ」

――どういったことなのか気になりますね。その試合は......。

「ザ・コブラvsザ・バンピートです。俺はこの試合をテレビで見ていたんですが、『これはなんやねん!』という、理解ができない衝撃が色濃く残っています」

――この試合は1983年11月3日に蔵前国技館で、NWA世界ジュニアヘビー級王座決定戦として行なわれました。コブラは日本のマット初登場の"凱旋マッチ"でしたね。

「この試合は、両者の入場シーンが今でも語り草になっています。まずバンピートが入ってくるんですが、明らかにマスクとタイツのカラーコントラストが悪いんです。

タイツはブルーを基調に赤色の星などを散りばめたデザインなのに、マスクは白ベースに赤いコウモリが描かれていた。『もう少し色味を合わせられなかったのか?』という違和感を覚えざるを得なくて。しかも、上半身が『ホンマにジュニアなんか』というくらいデカかったんで、そこで頭が混乱し始めました」